私のアクティブライフ 2015年
 その90 皇居 乾通りもみじの通り抜け
 一般公開「皇居 乾通りもみじの通り抜け」 2015年12月9日
 この近くには何度も来ていますが中に入るのは初めてです。テレビのニュースなどでこのところ良く放送されています。ワイドショーなどでは半日も並んでやっと入れるような騒ぎ方です。
 12月5日~9日までの期間限定です。最終日の9日に来ました。最終日は天候も良く、大変混むと報道されていました。遠くに見えるのが坂下門ですが観光客はちらほらです。
 坂下門から皇居に入ります。ニュースで流れた混みようを覚悟して来ましたが良い方に当てがはずれました。この場所が総て人で埋まるそうです。
 皇居を象徴するような橋です。二重橋と一般には思われていますが二重橋はこの橋ではないそうです。歌の文句にも出て来ますが、正式名称は正門石橋と言うそうです。
 二重橋はこの橋の奥にあり一般に公開されるのは新年の一般参賀・天皇誕生日の一般参賀などの特別な日に限られているそうです。
 12月25日テレ朝のモーニングショーではこの橋の事を二重橋と紹介していました。勉強不足もひどいものです。
 伏見櫓というそうです。京都伏見城から移築されたもので、江戸城の面影を残す唯一の建物だそうです。この建物の奥に天皇陛下が住む「吹上御苑」があるそうです。
 皇居の反対側には高層ビルが建ち並んでいます。手入れされた松とも良く合いますね。制服の警察官も多いですが、私服の警察官、宮内庁の職員も多く配置されていました。皇居外苑です。
 バスから降りて歩き出し、20分くらいで検問所に着きました。バックの中など隅々まで調べます。少しでもおかしな物が入っていると取調べを受けるそうです。世界各国でテロが起きている為と思います。
 次はボディーチェックです。金属探知機を持った女性警察官がしっかり調べます。この日は11月23日に靖国神社のトイレに爆発物を仕掛けた韓国人が再度来日して警視庁に逮捕されました。爆弾が作れそうな物を持っていたそうです。ちなみに、ここから靖国神社までは歩いて15分くらいです。
※皇居内を通った場合です。
 いよいよ坂下門から入場です。先を見ますと混雑しているようですが、混雑していたのは門の下の入り口付近だけでした。
 乾門、東御苑方面が自由に散策できるコースです。
 歩き始めて間もなくテレビなどで見たような建物が目に入りました。お正月の一般参賀や天皇陛下の誕生日などの祝い事の時に一般の方が入れる庭があり、この宮殿に皇族が並び天皇陛下のお言葉をお聞きします。今回は規制されていて入れないようです。
 宮内庁庁舎です。
 この地域にふさわしくないと思われる物が目に入りました。警備の警察官に聞いたところ 皇室関係の車が入る車庫だそうです。何か要塞のようにも見えますね。天皇陛下の乗るセンチュリーなどもこの中だそうです。
 夏、都内に行った時たまたま遭遇した天皇陛下の車列です。天皇陛下は前から2両目センチュリーです。
 今回の目的はこの辺りからです。皇居もみじの通り抜けです。
 迷子になられて立ち入り禁止地区に入られては困るからでしょうか?親切な立て札が多く見られます。
 私は乾門方面に進みます。
 東御苑に直接向かう方達もいます。見学者も少なく散歩気分で歩けます。
 皇居は元江戸城の一部にあります。 江戸城の敷地は広いものだったんですね。
 坂下門から入り約700mの紅葉楽しみました。乾門を出れば通り抜けは終わりです。
 北桔門橋からもう一度皇居に入ります。
 桔橋(はね橋)とは戦国時代敵が攻めて来たら、橋が上がるようになっていて城内への出入りを制限するように作られた橋だそうです。今はしっかり固定された橋です。
 江戸城の天主台の石組みです。江戸幕府の力を見せ付けるかの様な立派な石組みです。私が一人でふらふらしていると、写真を撮っていただけませんと呼び止られました。向かう方面が同じですので何となく写真を撮り合いました。
 最初は何かはめられたのかとも考えましたがこんなに警備が厳しい中でその様な事はないだろうと付き合させていただきました。大阪から来た高遠さんと言うそうです。城めぐりが趣味で100の城を回っているそうです。
 天主台の上です。ここに高さ50mという国内最大の天主閣があったそうです。今日歩いた中でここが一番混雑していました。
 天主台の上り口付近の警察官がスピーカーで面白い案内をしています。近くにいる人達から笑いが聞こえてきます。警察官の口上です。
「皆さん~天主台に上っても見る所も無いし、面白くも何でもありません~上っても損ですよ~」
皇居の中でこんな冗談のような案内が聞けるとは思いませんでした。開かれた皇室の手助けでしょうか。確かに何もありませんでした。
 天主台から皇居東御苑を望みます。ここにあった天守閣は明暦(1657年)の大火の飛び火により全焼したそうです。建てられてわずか19年だったそうです。
 時は戦国時代も終わり天主閣は必要ないとなり再建はされなかったそうです。江戸城がなくなったのは火事などもありましたが、明治政府が前政権(徳川幕府)の時代は終わったことを示す為、江戸城の一部を壊し始め、それが止まらなくなり現在のようになったそうです。
※明治維新です。
 警視庁の威信を賭けた警備です。警察車両の一部です。
 六義園
 名前は聞いた事がありますが初めて来ました。「りくぎえん」と読みます。この公園は300年位前に地方大名の趣味で造られたそうです。その後数名の手に渡り最後の持ち主が三菱財閥の当主だそうです。
 昭和13年東京市に寄贈され、一般公開されるようになったそうです。
 江戸太神楽(大道芸)と言う大衆芸人が入場者の拍手をあびていました。皿回し・傘の上でまりを回す・獅子舞などの芸も太神楽です。
 内庭大門という洒落た門をくぐり園内へ入ります。
 園内は手入れが行き届き素晴らしいです。
 雪吊りは雪国で樹木や果樹の枝が雪の重さで折れないように高い柱から縄を張り枝を守るものです。雪の少ない庭園では冬の景色を飾る装飾として雪吊が見られます。
 園内の大木も歴史を感じます。素晴らしい庭園でした。
 六義園を出てわずかでここに着きました。とげ抜き地蔵で有名なお寺です。
 ここのご本尊とげ抜き地蔵は延命地蔵尊菩薩は秘仏だそうですので簡単には拝見できないそうですが、ここで有名なのが洗い観音です。現在jの洗い観音は2代目だそうです。
 初代はタワシで洗い続けられた為顔が磨り減り、10年前に今の仏像に交代したそうです。洗い観音は自分の悪い所を洗うのですが、タワシでは磨り減るので現在は布で洗うそうです。この時は若い方が仏像を洗っていました。どなたかの名代で来たのでしょうか。
 「常香炉」というと思います。大きな陶器から出る煙は身体を清める為のものでしたが、いつからか体の悪い所に煙をかけると早く治るといわれるようになったそうです。
 煙の元は自腹で線香を買い香炉の中に入れます。ちなみに、私の身体は弱っている部分が多いのですが信心心がまるでない為、仏像も洗わず煙もかけませんでした。
 地蔵通り商店街です。お店も多くにぎやかです。生きた化石のようなおばあちゃんがよろよろとお土産のお買い物を楽しんでいました。
 とげ抜き地蔵尊の裏というか、前というか、広い道路が通っています。午後3時頃ですが車の通りも少なく良い所です。
 国道17号線です。国道17号線は中央区日本橋から新潟県新潟市までの一般国道ですが、群馬県方面と比べたら車は随分少ないです。ずぅ~っと先まで車は見えません。
 9月10日
 鬼怒川が氾濫し茨城県常総市などが大規模な浸水被害を受けた日、私の方面は涼しく久しぶりに歩き出しました。いつもの公園に着くとすでに数人が歩いていました。私も歩き出し間もなくです。
 公園の土が大雨で流れ出た所に足を出してしまいました。あっと言う間もなく「すってんころり」びっくりしました。その時に痛めた膝が時々痛みます。その様な中12月5日大手通販のチラシが目に入りました。ネットで調べたら小型ですが良い様ですので早速注文しました。翌日には届きました。私には良い物です。25000円くらいでしたが5日後アマゾンのメールを開くと10000円を割った価格でした。なんとも言えません。
 今回は用心の為、前日に折りたたみの杖を購入して持って行きましたが出番はありませんでした。最近は安近短の旅行が気に入ってます。歳の為か長時間の飛行機などは駄目ですね。