私のアクティブライフ 2012年
 その53 焼津
2012年4月24日 焼津
 新東名を走り焼津まで。
4月14日新東名高速が開通しました。良い時季なので早朝家を出ました。

 圏央道、中央道を利用して白糸滝に立ち寄りました。

 42年前に来ているのですが、駐車場から滝まで歩いた道は思い出せません。

 洒落てますね。一斗樽から冷たい水が出ています。この様な所があると皆さん手を洗う様です。

 すぐ近くにもう1つ音止滝と言うのがあるのですが、これについても覚えがありません。

 音止滝です。

 昔来た時には土産店は無かったような気がします。

 今日は最高の出掛け日和です。

 新東名が遠くに見えて来ました。

新東名に入ります。新しい道は綺麗で良いですね。

 新東名は高規格のスーパー高速だそうですが感じたのはカーブも高低差も少なく燃費が良さそうだと言う事ぐらいです。
 

 東名と新東名は数箇所で交互するようです。初めてですと一瞬迷うような標識です。

 複雑に交差している様に見えます。

 11時30分焼津に着きました。市場で軽めの昼食を頂ました。

 食後、市場の中をぶらぶらしました。暇そうです。

 焼津港はマグロの水揚げ日本一だけあり、DHAを多く含み人間の健康には良いと言われるマグロの目玉が食べやすいように加工されて店先に並べられていましたが、初めて食べる方には抵抗がある部位です。

 時間の都合で帰路に着きます。
 駿河湾の海沿いで風力発電機が目に入りました。どの様な理由か判りませんが1基だけです。

 日本平にも立ち寄りました。清水港・三保の松原などが一望出来ます。素晴らしい眺めです。

 赤い靴はいてた女の子と母の像です。悲しい話ですね。

 歌詞は、実話を題材にして書かれたという話が定説化したそうです。

 現在の静岡県清水市宮加三出身の岩崎かよの娘・きみ(1902年7月15日~1911年9月15日)がその赤い靴を履いていた少女のモデルとされた。
 岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、北海道に渡り、鈴木志郎と結婚する。きみが満3歳の時、鈴木夫妻は、北海道の農場へ入植する。しかし、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に預けることにした。
 やがてヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、そのまま東京麻布の教会の孤児院に預けられてしまう。
 きみは孤児院で母親に会うこともできず、9歳で亡くなったという。母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思いこんでいて、きみが東京の孤児院で結核で亡くなったことは知らされないまま、一生を過ごした。


 もうすぐ八十八夜です。この地方は忙しくなりますね。良い景色を見ながらの茶摘みも良いでしょうね。

 海岸沿いを走ります。この辺りは東海地震が発生すると大きな被害が予想されている所です。
 石油タンクでしょうか?大津波が来たら大変ですね。

 清水港に面した所にある複合商業施設です。小さい子供の手を引いていたお母さんの姿が妙に気になりました。車窓から海を見ると3・11のニュースを思い出し怖くなります。

 新東名高速富士川トンネルです。このトンネルの出入り口は富士川活断層が昔の地震で上下に10mずれた斜面に作ってしまった様です。
 富士川活断層は日本最大の活断層でこの活断層がずれればこのトンネルは簡単に寸断されるそうです。
 日本の凄い技術で調べたのでしょうが皮肉な事ですね。東京大学の先生の話です。断層は両側から押し合う力が働く逆断層タイプだそうです。

 富士川河口です。この川は山梨県山梨市西沢渓谷上流を源とする笛吹川が甲府盆地(石和温泉)を下り南巨摩郡で富士川と合流して富士川になります。
 私の趣味で笛吹川近辺には良く行きます。年配の方から聞いた話ではこの川は日本三大急流の暴れ川でこの川が氾濫して人が流されるとこの河口まで来て初めて発見されるそうです。
 笛吹き市石和温泉付近では武田信玄が暴れ川の暴れを収め堤防の決壊を防ぐ丸太で出来た牛のような物が再現されています。

 笛吹き川の中聖牛(ちゅうひじりうし)です。8年位前に再現されたと思います。石和温泉付近の川原です。

 関東地方の暴れ川には見られるものです。牛の胸の部分で上流から流されてくる石や小石・流木を受け止め流れを弱めて堤防を守るそうです。
 暴れ川によって牛の大きさが違うようですが大きいものは1辺が10mの大々聖牛もあるそうですが、更に大きいと鬼聖牛と言うそうです。この牛ですが今の時代でも十分通用するそうです。


 過疎化・高齢化と共に山林の手入れもおろそかになると竹が勢力を伸ばします。伊豆半島方面もひどいものですがこの辺りも孟宗竹に占領されそうです。


 5時を過ぎましたが随分陽が伸びました。富士急ハイランドです。私が小学校高学年の頃スケートセンターとしてオープンしたと思います。思い出せませんが当時の若い女優さんか歌手の方がキャ~キャ~騒いでスケートしているテレビのコマーシャルを見た覚えがあります。
 15歳頃学校の遠足で来ました。その時にはジェットコースターが1基あり2回続けて乗った覚えがあります。4月初めのテレビ番組で富士急のジェットコースターが取り上げられました。一番安いジェットコースターで5億円、一番高いものは35億円と紹介されました。元を取るのには大変でしょうね。

 リニア新幹線のテストコースですが開業すれば本コースの一部になります。東京大阪間を1時間くらいで走るそうです。ルートについても各地で誘致合戦が始まっているようです。

 中日新聞の記事です。リニア延伸工事は進むが2027年に東京-名古屋がやっと開通だそうだ。冥土の土産に乗りたいと思っている年寄りに15年は先過ぎるかな?
 今回の目的は、私が寿司屋を始めて間もなくからの付き合いの大手マグロ問屋に寄る予定で来ましたが、計画がいい加減すぎ時間的にアウトとなってしまいましたので今回は寄らずに帰りました。
 35年くらい前、休日の前夜になると声が掛かり親睦を図りにわざわざ焼津まで来たものです。焼津は日本最大の遠洋漁業の基地です。日本を代表する大手マグロ問屋が揃っていましたが今でも変わってないと思います。
 遠洋マグロ船の1航海は380日くらい漁業日数は250日くらいと決まりがあるそうです。1航海中に3~4回くらい燃料と食料補給、乗組員の休養のために外国の港に寄港するそうです。乗組員はこの寄港が何よりの楽しみ、陸に降りるのはこの時だけだそうです。日本の遠洋漁船が入港すると港近くの歓楽街では大歓迎だそうです。海の上ではお金を使う機会が無いのでお金を持っている為でしょうね。
 最近では燃料などの高騰、冷凍技術の発達の為1航海が380日くらいと決まりがあるのですが船内の冷凍庫が満杯になるまで日本には帰港しないそうです。魚場まで片道約1ヶ月、燃料代が無駄と言う事らしいです。
 マグロ遠洋漁業・・・はえ縄漁です。
普通の大きさの船では、はえ縄(太い釣り糸の様なもの)を150kmくらい流します。釣り針の数は3.000本くらいだそうです。大型船になるとはえ縄は300km釣り針は5.000本くらいだそうです。
 はえ縄を流し出すのに半日・巻き上げるのに15時間くらい掛かるそうです。こんなに長いはえ縄漁でもまるで釣れない事もあるそうです。偶然サメも釣れてしまうそうです。この場合サメのヒレだけを切り取り身は(本体)値が付かない為、海に捨ててしまうそうです。ヒレはフカヒレスープ゚用に高値で売れ船員のボーナスになるそうです。イギリスの団体に。名前は忘れましたがこの事に目を付けられ国際的な騒ぎになった事もありました。

 マグロを釣る為の釣り針です。

 大物になると300kgくらいあるそうです。太くて頑丈です。針は太さ5mm、テングスの太さ2mm

 新人の作業員は一度はこの針を手に刺す(手のひらから手の甲に抜ける)そうです。大海の中ですからカッターで針を2つに切って抜くそうです。私も大型のカッターで切れるのか試してみましたがカッターの歯が飛びそうな硬いものでしたので切るのは断念しました。
 海の男はどの様なカッターで切るのか判りませんが針を刺した時以上の激痛を新人は味わうのでしょうね。

 寿司屋が仕入れるマグロです。忙しい時代は気に入ったマグロがあれば数本まとめ買いもしました。

 マルミ水産でマグロを仕入れをします。-60℃で保管されたマグロは材木屋さんと同じ様な機械でマグロをばらします。

 客の注文に応じてばらしてくれます。

 更に使いやすい大きさにしてもらいます。この方はこの店の責任者です。学生時代アルバイトで入りそのまま取り込まれてしまいました。この責任者は凄い経験をしています。
 1986年フィリピンマルコス独裁政権に反対し多くの国民が立ち上がりフィリピン全土が内乱状態になりマルコス大統領一派は国外追放になりました。この内乱状態の時にマルミフィリピン支局に勤務していました。銃声、爆発音が響く恐ろしい時間を耐え戦争の怖さを実感したそうです。

 美味しいお寿司が出来ました。