私のアクティブライフ 2011年
 その47 韓国旅行
 2011年6月6日
 韓国に行って来ました。

 春からいくつかの旅行を計画していたのですが3月11日の数日後の旅行が中止になったのをはじめ予定していた旅行が色々な事情ですべて中止になり出掛けられませんでしたが、いつもお世話になっている友人とこの日ならお互い都合が付くという案内を目にしてソウル行きが決まりました。

 6日ソウル仁川空港に午後4時頃着きました。韓国は人口の割には国土が狭い(約日本の25%)為埋め立ても盛んな様子をテレビニュースで見た事がありますがこの地域も埋め立てが進んでいるようです。ちなみに仁川空港も大きな埋立地に建っています。

 空港からバスで(どこか判りませんが)ショッピング(免税店)に立ち寄りました。私の娘たちが喜びそうな看板の店が並んでいますがイマイチお客は少ないようです。

 ロッテホテルに3連泊です。

 外の様子がうそのように静かなロビーです。

 夜のソウルにくり出します。この街は夜の7時30分でもまだまだ明るいです

 添乗員さんおすすめの焼肉店です。まずは乾杯~です。
 美味しい食事を頂いて元気が出ます。夜のソウルをぶらぶらします。凄い数の夜店が並んでます。

 深夜です。部屋に向かいますが長い通路です。迷子になりそうです。

 6月7日です。
 朝食は韓国式でした。韓国ではご飯茶碗を手で持って食べてはいけないそうです。
 ソウル市内観光です。

 北村韓屋村という所を見学します。ここは歴史のある町で朝鮮時代は高級官僚が多く住んでいて韓国伝統家屋も多く残っている所だそうです。

 植民地だった日本から解放され2代目大統領の育った家だとガイドさんの説明がありましたが韓国では初代から3代までは同じ方が大統領を務めたはずですが?李承晩

 市内観光後民芸店でショッピングです。
 徳寿宮で衛兵交替式を見学しました。どのような方の衛兵なのか説明はありませんでしたがそれなりの方が暮らしていたんでしょうね。
 徳寿宮前の通りには右手首がない芸術家が作った彫り物などが展示販売されていましたが立ち止まる観光客はいなかったように見えました。又この芸術家は通る人に愛想をふりまくしぐさもしませんでした。
 私が子供の頃・神社仏閣の縁日には似たような芸術家がいましたがその方たちは太平洋戦争で傷ついた傷痍軍人(しょういぐんじん)でした。

 昼食は石焼ビビンバでした。綺麗に並べられた食材には韓国で昔から守られてきた決まりの色が4色あるそうです。
赤・青・黄色・白と説明を聞いたような気がします。
 昼食後は自由行動です。
 大きなデパート、地下街を巡りました。

 買い物を楽しんだ後は韓国式サウナ(火汗蒸幕)・アカスリを体験しました。

 このサウナですが男女共に6,000円くらいでしたが男のコースは30分くらいで女性のコースは60分くらいかかったと思います。
妻に話を聞いたところ女性のサウナはテレビなどで紹介される石で組んだドーム型だったそうです。男たちは軽くあしらわれているようです。
※韓国式アカスリの効能
 韓国式アカスリはとても気持ちがよくて終わった後はとても身軽になった感じがします。日本では一般的でないアカスリですが、本場韓国では小さい子供からおばあちゃんまで週に一度は必ず行う生活に根付いたものです。韓国の女性が綺麗なお肌をしているのもわかりますね。
 体の老廃物が取れたうえに爽快感も感じ、ストレスまでなくなった気分になります。韓国式アカスリには手順があり血流も良くなるので心臓に負担をかけないノウハウがあります。
 韓国なまりの日本語で説明をしてくれるのですが、理解できたのはキュウリパックをしますという事だけでした。どのような事をしたか判りませんでしたがキュウリの香りがプゥ~ンとした為です。妻たちを待つ間この店のパンフレットを見たところこんな感じの事をしたようです。良い体験ができました。
 良く聞き取れなかったのですが何か追加の作業が1,600円ですというので頼んだところかかとの角質を取るだけでした。私も以前やっていました。
 

 サウナですっきりしたら夜のソウルをぶらぶらします。色々な商品をあつかうお店(露店)が通り一面見事に並んでいます。

 孫が喜びそうなものも多いのですが、たぶん数多い孫のコレクションの中には全てありそうです。

 ソウルに来たからにはここは立ち寄る所です。テレビでは数回観ました。ナンタショーです。

 私たちは2列目の席を確保できました。開演数分前舞台中央にスクリーンが下りてきて数カ国語で観客をあおります。
 民族衣装を着た役者が韓国伝統の打楽器でしぶい演奏を始めますがまもなく白衣を着たショーが始まりました。

 このショーは韓国伝統の結婚式場の板場を舞台にしたものだそうです。

 素晴らしいリズム感の包丁さばきが迫力を増します。
 このショーは楽しさと迫力です。観客を舞台に上げ観客も全員参加の楽しいものでした。
私たちより後方、2階席も満席でどこの国の子供たちかわかりませんが90分の間大歓声が止まりませんでした。孫にも一度は観せたいと思います。

 街をぶらぶらしながら夕食は何にしようかとなりました。美味しそうなお店が数多くあり迷います。そんな中でこんな看板を目にしたので入って見ました。簡単に訳すと韓国式本格中華料理店と言うそうです。
 韓国では食事に必ずつくという漬物セットでおかわりは自由のようです。  ライチです。
 餃子です。
とにかく大きいです。
 海鮮野菜炒めです。
これも美味しかった。
 中華風から揚げです。
私はこれが一番美味しかったように思いました。
 水餃子です。
日本の水餃子とは少し雰囲気が違います。 
ゆでた麺です。
が。。どのようにいただいたかは?冷麺かな?
 凄いものが出てきました。
このレストランでの注文は漢字を見て想像して注文しました。麺類2つは日本のラーメンを想像して頼みましたがまるで違うものでした。
 日本ではラーメンは簡単に早く食べられる・韓国ではこの麺が簡単で早く食べられる。ガイドさん話ではこの黒い面が日本のラーメンだそうです。忙しい時、時間がない時などはこの韓国ラーメンの出前をたのむそうです。ラーメンが食べたかった妻たち2人はがっかりしたようでした。

 この方がお店の女将だったのか・・・?
食べ方などをていねいに説明してくれました。
記念写真も撮っていただきました。

 お酒もいっぱいいただきましたが5,000円くらいだったようです。

 水原華城から数分で昼食の為のレストランへ。
日本人が良く来るのでしょうね。

 食事はプルコギだそうです。
テールスープが美味しかった。大きな器にたっぷりの肉。

 環境に良い楊枝だそうですが軽く聞き流した為どのように良いか判りません。

 今日午前中の観光はワンボックス車で案内して頂きました。ガイドさんですが年に数回日本に来るそうです。
この車見た目は日本車と同じようなワゴン車ですが乗りごこちは4ナンバー車でした。
 午後は自由行動です。
南大門市場で車を降りぶらぶらしました。まぁ~凄い人と品物です。
この地区約2,000坪で大小10,000軒もお店があるそうです。どのように数えるか判りませんが1日50万人もこの地区に集まるそうです。

 約2,000坪の中をあっちこっちと足を延ばしました。
 早めに美味しいものを頂きました。日本でも今良く食べられています。サムゲタンです。体に優しい料理です。

 鳥をから揚げにしたものです。
これもたぶん漢字を見て想像で注文したものと思います。良い油で揚げていたようで美味でした。

 元気の源も頂いて又夜の街へ。

 たぶん前日も来たと思いますがソウルの街は地下通路で結ばれていて複雑です。

 今日も1日よく歩きました。携帯の歩数計を久々に見ました。

 6月8日
 今日は世界遺産水原華城の見学です。

水原華城は観光客用の3両編成の韓国らしい列車で移動します。上り下りが多いので徒歩ではたいへんです。

 この城は石やレンガで作られた構造物がたいへん多いところです。

 砲楼(ほうろう)と言うそうです。上から大砲を撃ち下の窓から鉄砲で迎え撃つように出来ているそうです。

 このお城の西側にある鐘つき堂です。有事の時など何らかの合図に利用されたんでしょうかね。

 水原華城鐘つき堂から現代の城下町を見ます。高層ビルが多く見られます。

 このお城の東側にはなにやら立派な仏像が。ちなみに韓国人の仏教徒は国民の20%くらいだそうです。

 韓国で一番きれいなトイレだそうですが、どのような事が基準なのでしょうか?
特有の臭いは十分してましたが。

 韓国で一番美味しいといわれる湧水だそうです。間違いありませんでした。

 水原華城広場まで下りて来ました。華城行宮を見学します。いくつかの門をくぐると「親孝行とはなんですか?」と言わんばかりの部屋がありました。ガイドさんはこの城について色々説明してくれたのですが人に話せる知識は身に付きませんでした。

 八達門広場では昔の戦いのようすを再現しているかのようなことが行われていました。3月から12月までだそうです。

 演舞が終わるといきなり記念撮影です。サービス満点ですね。
6月9日。日本へ帰ります。

 ホテルを出て30分くらい走ると韓国食品店(ガイドさんおすすめお土産店)にバスは止まりました。

 店内は日本人観光客で賑わっていました。商品も韓国らしいものが山と積まれていました。その中で韓国の名産は美味しい塩だという説明がありました。
 ガイドさんが言うには日本の赤穂(あこう)の塩は韓国産だというのです。「へぇ~そうなんだ」と軽く聞き流し試食したら風味がある美味しい塩でしたので数袋買いました。
帰国後、赤穂の塩が韓国産であるはずがないと思い赤穂観光協会に尋ねました。
Q
始めまして東京の鈴木と申します。
つかぬ事をお尋ね申しあげます。
私は40年以上食品関係の仕事をしています。先月(6月6日)韓国に行って来ました。
その時のガイドさんにすすめられて韓国の美味しい塩を買って来ました。ガイドさんいわく「日本の赤穂の塩は韓国産のものが使われている」のだという説明がされました。
その時は何となく聞き流したのですが帰国後気に掛かり調べたのですがその様な事はまず無いだろうという結果になりました。
ガイドさんがその様な事を言うには何か韓国と赤穂の塩が結びつくものがあるのでしょうか?
失礼な事をお尋ねして申し訳ありませんが宜しくお願いします。
A
おはようございます。
赤穂観光協会 睦谷と申します。
この度はメールを頂き、ありがとうございます。
本題の件ですが、赤穂の塩と韓国の塩は関係ありません。
赤穂の塩は瀬戸内の海水(赤穂沖・岡山沖)を使い、赤穂のにがりを加えた物。オーストラリアの岩塩に赤穂のにがりを加えた物に別けられます。
塩のパッケージには原産地やどこの海水を使用しているか等、記載されています。
韓国のガイドさんが何故そのように説明されたのかが、わからないですね・・・。
 
赤穂は塩と義士の町です。塩以外にも美味しいものが沢山あります。
機会がありましたら是非、鈴木さんも赤穂へいらして下さい!!

赤穂観光協会 陸谷様有難う御座いました。
 帰りの飛行機は仁川発10時10分でしたが、だいぶ遅れました。滑走路には離陸を待つ後続機が数機、私の乗った飛行機の前にも数機、滑走路も渋滞のようでした。
 飛行機は離陸するとまもなく時速1,000km/h以上の高速で飛び続けました。離陸時間は大幅に遅れたのですが成田到着は予定通りでした。ちなみに仁川に向かう飛行機の速度は800km/h前後でした。機内のモニターで見た限りでは最高速度で300km/hくらい速度差がありました。

 ついでに。
 我が家の上空には民間の旅客機の航路があります。好天でしたら尾翼の赤い丸(日航機)が判ります。以前からこの上空を飛ぶ飛行機(約1万m)はどこへ向かうのか気になっていました。

 今回、韓国に向かう途中の機内のモニター。窓からのながめで納得ができました。
 成田を離陸した飛行機は東京北部を飛び〒190-1223上空を経由し、富士山を左下に見て伊那山脈上空を回り込むようにして浜松上空から若狭湾方面に向かい、一路ソウルまで行くようです。
季節、天候によっても左右されるでしょうが。

 地図に書いてみました。
緑の線がソウルへ。
ピンクの線が成田へ。

 韓国からの帰路ですが鳥取上空から若狭湾、御前崎(駿河湾)へとぬけ伊豆半島を大回りして房総半島を横切り、九十九里浜くらいから高度を落として着陸するようです。
① 韓国について
 韓国ですが道路がたいへん広く片側4車線くらいは普通で、片側6車線という所もあるそうです。
ソウルなどの大都市では隣りの国と危険な状態が続いている為、広い道路が有事の際滑走路になりヘリコプター、戦闘機が離着陸できるようになっているそうです。
 又、韓国では地下道、地下鉄、地下商店が多くこれも有事の際防空壕(ぼうくうごう)になり、年に3~4回実戦さながらその地区全員参加の訓練を行うそうです。

 ちなみに北朝鮮の首都・平壌の地下鉄は地下150mという大深度に建設され核戦争に備えているらしいです。ソウルでは道幅も広く横断歩道を渡るのもたいへんでした。

 6月18日韓国から帰り9日目の新聞記事です。

 8月18日の新聞記事です。南北が一つになるまで行かない方が良いようですね。

② 韓国に着き目を疑ったのが高級乗用車でした。新型なのか旧型なのか目を疑う世界の高級乗用車が多い事でしたが、良く見ると世界の高級乗用車のそっくりさんでした。
 ここまで出来る韓国の職人は「凄い」の一言です。
③国民性かな
 ソウルに入り最初の夜はガイドさんおすすめの焼肉店でした。見るからに庶民的な店でした。
美味しい料理をいっぱい頂きましたが、お勘定になると庶民的な店とはかけ離れた金額を請求されました。
「おどろいた~」でした。

④ 味覚の違い
 ソウルの街を案内してくれたガイドさんが「ここ(露店)のトウモロコシ美味しいよ」といい夜食べるようにと1つ買いました。
 妻たちも好きなので1つずつ買いそれぞれの部屋で頂く事に。部屋に帰りまだ温かみの残る美味しそうなトウモロコシを妻が1口。。「えぇ~」と言いながら食べるのをやめてしまいました。私も数粒口にしました。日本では家畜の餌と同レベルかそれ以下でしょうね。

 私が子供の頃牛の餌用で馬の歯という大粒の(1.3㌢×1.8㌢くらい)トウモロコシがありました。それの方がまだ味があり、食べられたと思います。同行の奥様も我が妻と同じだったようでした。

⑤ 韓国のり
 私は若い頃食品関係のスーパーに勤めていました。その頃の(約40年前)特売の看板には韓国のりが
利用されていました。当時の韓国のりは赤茶色でした。
 のり(海草)も日本の物とは種類が違うようでおむすびなどを包むとのりの繊維がバラバラになってしまい、本来ののりを使う意味(ご飯が手につかない)がなく、韓国のりで包んだおむすびを食べると手はとろけたのりでべとべとになり、お客さんに飽きられ、一般のスーパーからは姿を消しましたが、最近では「味のり」として出まわり、お酒のつまみなどに多く利用されているようです。

 参考までに。
 私たち江戸前のすし屋が使っていたのりです。
「浅草のり」 良いのりの代名詞ですが現在東京湾ではほとんど作られていません。今では九州、西日本産が主流です。黒光りしてほんのり磯の香りが。

⑥ とぼけたガイドのような写真屋が言うには。
 いつの間にかバスに乗り込んでいて写真を取りまくり、撮った写真を売りつけるとぼけたおやじですが面白い事をいうので付き合いで1枚買いました。

 このとぼけたおやじに、「ソウルには綺麗な子が多いね~」と話しかけたら、「韓国ではスタイルさえ良ければみんなカラだよ~」と言うのです。
 セエケ・セエケ(整形)というのです。という事はこの子たちも・・・・

 韓国では80%の方がどこか整形しているようです。日本からのツアーもあるそうですが。

 もう少ししたらこの子たちも?
可愛い子たちです。このままで十分と見ましたが。

 この方もご夫婦で整形手術をしました。お目目パッチリ。
韓国第16代大統領ノムヒョン氏です。
⑦ 韓国大統領について
 日本軍が太平洋戦争で降伏した数年後、韓国総選挙が行われ初代大統領が決まり、現在17代目の大統領です。
韓国の大統領経験者(16代目まで)は全て本人か家族が汚職などの罪に問われて、人としての生活を送った人は一人としていません。
 私が覚えている大統領で金大中という大統領がいました。この人は若い頃日本に来ていて韓国秘密警察に拉致(秘密裏に無理やり韓国に連れ戻される)されるという事件がありましたが、後に15代目大統領になり、まもなく南北首脳会談を分断後初めて実現しノーベル平和賞を受賞しました。
 その時は立派だ。これで朝鮮半島は一つになるのかと思っていましが数年後この大統領がノーベル賞ほしさに裏金500億円を北朝鮮の金正日に渡し金で買った首脳会談だという事が暴露されました。

 現在の17代目大統領イミョンバク氏ですが、この方はどうなりますかね。

① 韓国の建物について
 韓国の建物についてガイドさんが説明してくれました。
 数年前までは韓国には耐震基準などなく、数年前から震度6くらいの地震には耐える建物を造るようになってきたという事です。
 韓国では過去に大きな地震はない為耐震など考えなかったらしいです。仮に耐震基準ができても韓国ですから日本で数年前問題になった建物程度でしょうねとガイドさん。
 韓国迎賓館前の立派な建物ですが、この建物はどうなんでしょうか?ちなみに私たちがお世話になったホテルも最近造られたものではありません。考えると怖いですね。
 1998年に完成したビルの中で体操をはじめたらビルが突然揺れだし1,000人近くの人が非難したらしいです。

 今月7月20日 「謎の揺れ、エアロビ原因か」韓国高層ビルで専門家。
ネット配信記事。ソウル市東部の広津区にある39階建ての複合商業ビル「テクノマート」で原因不明の揺れが起きた問題で、安全検査をした専門家は19日、12階にあるフィットネスクラブでのエアロビクスが原因との暫定結果を明らかにした。韓国メディアが報じた。

 15年くらい前にはソウルのデパートがずさん工事で突然くずれ1,500人近い死傷者が出た事故も有名ですね。
 韓国には35年前に来た事があります。当時、当店は支店がいくつかありソウルに店をという話で市場関係者らと来ましたが、金銭の扱いがやっかいな時代でしたのでその話は立ち消えになりました。
① その時の想い出。
 どこの辺りかわかりません(変わりすぎて)が海岸の岩の間で機関銃を撃った事でした。弾が30発入り、海に向かって撃ちました。日本円で3,000円でした。
 当時ウォンに換算したら大金だったんでしょうが、高額とは感じない時代でした。汚く色がはげた腰吊るしという小機関銃でした。おそらく軍の幹部の小遣い稼ぎだったんでしょうね。その時の銃とは多少違いますがこんな感じでした。
 腰つるしの射程距離は最大で40mくらいで、目の前に敵がいたら取り合えず何でも良いから撃つ。その為日本軍などが一般に使っていた狙撃(そげき)銃と勝負し、狙われたら勝ち目はない(弾の届く距離が違う)と説明されたのを覚えています。

 これは、その時におまけで撃たせてもらった拳銃です。

 数年前だと思いますが韓国のどこかの射撃場で火薬のかすに火がついてけが人が出たニュースを見た時昔は、ずいぶん荒っぽい事をしていたんだなとつくづく感じました。今は街の中で合法的に撃てるようです。
② 当時のソウルにばくち場(ウォカーヒル)は一か所でした。これも良く思い出せませんが、がたがたの山道を1時間近く登った山の中腹にあったと思います。
 私はばくちに興味はありませんでした。市場関係者が大騒ぎしながら巻き上げられるのをおもしろおかしく見ていました。

 市場関係者はとにかく弱いくせにばくちが好きです。マグロの解体台の上でサイコロを振り、早朝警察に連行される様子を数回目にしました。
 この時私たちは韓国で最上クラスのハイヤーを借り切っていました。ばくち場から引き上げる帰り道、外路灯も無い下り山道でこの車のライトが突然切れてしまいました。
 この時の運転手「良くある事なんですよ」と車を止めようともしません。それどころか「この車は最高の
車だ」と自慢を始めました。何が最高か話を聞いていたら日本製の8トラックカーステレオが付き、村田英雄の歌が聞けるという事でした。
 この時は怖かったですね。最上クラスのハイヤーですが当時日本ではほとんど見なくなったクラウンでした。
 35年前のみやげ
① 韓国の民族衣装を着た大きな人形です。妻の実家に今でも綺麗に飾られています。ありがたいですね。
 当時宿泊したホテルの近くのみやげ店で店番のばあさんにしつこく値切った覚えはありますがいくらだったか思いだせません。
 ちなみに2つ買えば 大サービスすると言われて2つ買ったのですが店番のばあさんの方が一枚上手だったような気がします。1つは私の親元にあるはずですが?
② うなぎの皮の財布です。
 赤い方が35年前の財布です。黒い方が今回購入した財布です。
 財布は従業員、お客さんにおみやげとして配りました。
 赤い財布は1ドルしませんでしたが今回購入した財布は47ドルでした。なんと、35年で47倍です。

 この頃日本は高度成長時代で道路、線路、工業団地等に農家が田畑を売り仲介した農協が旗を振り、普段町から出た事のないような農家の親父を連れての土地成金旅行が盛んに行われました。
 先祖代々の田畑を売り普段手にした事のな現金をつかみ、日本より格下と見た国で「宵越し銭は持たねえぞ」と言うような粋がった事をした為、日本人価格が出来一般の旅行者から農協の団体は白い目で見られていました。
 私が乗った飛行機でも出来上がった農協の団体が恥ずかしくもなく騒いでいましたが、話の内容はまるで理解でませんでした。

③ 妻が使っていたはずの財布ですが35年前のままタンスの中にありました。
 気に入って大切にして置いたか?気に入らずしまい込んだか謎です。
韓国人ガイドさんですが日本語を覚えて、
日本人を案内するのが一番楽というか良い(金になる)ような書き込みがありました。

なるほどナ~

① 旅行のしおりが送られて来て、開いたところオプショナルツアーでナンタショーとありました。
 自由時間が多い旅行の為、娘が韓国の観光を色々チェックしてくれた中でナンタショーを調べてくれました。
 同じ劇場でVIP席がガイドさんを通すと9,000円。ネットで直接申し込むと4,000円。。
えぇ~この差はなんだよ~
ガイドさんに口をきいてもらうだけで口きき料が5000円。おどろいたね~。

② ガイドさんにここが良いと案内されたお店ですが、高級店並の代金でした。しかし値切りもせずに払いました。
日本人は良い客です。ガイドさんの懐にはいくらバックがあるのでしょうか?

③ 個人的な知り合いなのか旅行会社の関連企業なのか、ガイドさんに案内されたお店の商品は一般のお店に比べすべて割高でした。
赤穂の塩は韓国の塩と話してくれた。
おいしいトウモロコシも教えてくれた。ガイドさん。
気さくないい子でした。
 東京都道163号羽村瑞穂線

 私が子供の頃我が家の隅の方に羽村街道(都道163号羽村瑞穂線)拡幅工事の作業員の為の飯場がありました。その作業員のほとんどが半島出身でした。
 今回韓国で買って来たキムチが冷蔵庫の中に忘れられていました。2ヶ月も経つので期待しないで食べたところ当時作業員がつくって食べさせてくれた懐かしい味でした。こくがありデパートなどで販売されているものとは大違いでした。特においしい思い出があるキムチは白菜を漬け込むときにモツ(牛か豚か判りませんが)を一緒に漬け込んだもので、その味は忘れられません。もう一度食べたいですね。

 当時の飯場です。雨風を防ぐだけです。ブリキ製です。

 
ソウルが35年間でずいぶん変わったなと感じましたが考えて見れば我々の周りも昔の面影を残すところはなくなりましたね

 日本でも和服姿の方は見かけなくなりましたが韓国でもチマチョゴリを着た方は見かけませんでした。

 
今回の韓国旅行も色々な知識を得られ楽しい旅行でした。次はどこへ行けるか楽しみです。