私のアクティブライフ 2009年
 その25 上高地
 始めて来たのは約40年前です。当時は高速道路も無くずいぶん時間がかかりましたが今では4時間くらいで来る事が出来ます。大正池ですが40年前と比べるとただの浅い川原のように見えます。40年前の大正池には幻想的というか神秘的というか数え切れないほどの枯木が水面に立ち並んでいました。1mくらいの深さで水中には朽ち果てた枯木が沈んでいました。今日の大正池には立ち並んでいた枯木はほとんど無く山沿いの川原に数本あるだけです。
池と言われた所も土砂が堆積したのか水量が減ったのか川原のように見えます。大正4年の焼岳の大噴火により梓川がせきとめられて大正池が出来たそうですがその時に川沿いに立っていた唐松、白樺 などが池の中にのみ込まれたそうです。私が見た40年前に立っていた枯木は噴火してから約55年経っていた訳です。
 今日 水面に枯木があるとしたら95年間経っている訳です。考えてみれば自然の樹が立ち枯れ状態で95年も風雨にさらされその姿で立っている訳無いですね。 昔の大正池を知ってる方がそのイメ-ジでここへ来たら場所を間違えたかナ~と感じると思います。

 梓川の広い池のような所も今は草が生えて湿地帯のようです。
 このようなせせらぎも時間の問題でしょうネ。  以前来た時の事を思い出しながら梓川沿いを歩きました。上高地とは切っても切り離せない方です。英国人宣教師ウオルタ-ウエストン氏のレリ-フです。この方は布教活動をしながら日本各地の山に登り日本の山の素晴らしさを世界に紹介した方だそうです。

 歩き始めて約1時間、楽しみの昼食です。
この時季は観光客も多く、座って食べる場所探しが大変でした。小さな容器に美味しそうに詰めてあります。これぞ弁当という感じですね。
 東京より一足早い秋です。
 焼岳、穂高連峰です。この様なところはこれから先もこのままでいてくれますね。好天に恵まれ素晴らしい青空でした。
 上高地と言ったら河童橋です。約40年前に来た時はここまで車で入って来ました。
思い違いかも知れませんが橋の上で車と写真を撮ったような気もします。
今は大きな売店などがありますが当時は小さい小屋が一つありました。

 現在の大正池付近です。
 40年前の大正池です。イメ-ジ画です。(心の中にあった思い出を浮かべ描いて見ました)。 昔はこんな感じでした。

 帰路です。道路脇の田んぼです。今年の米は夏の天候不順の影響で米の粒が丸くなく細長い為多少味が落ちる所もあるそうです。収穫まであと2週間ですね

 お世話になったバス会社です。最近バスに乗る機会が増えました。東(関東)と西方面のドライバ-では明らかに西方面のドライバ-の方が粋な運転をするようですね。やはり移動距離が長い。広い。車が少ない。手が無い(取締りが少ない)。

 松の木は昔から水の中では腐りにくいと言われ治水工事、護岸工事などには必ず使用されて来ました大正池に50年も立っていたと言う事はそれを実証したようなものですね。又、白樺は柔らかい木ですから簡単に朽ちたと思います。