|
|
昼食後、まだあったの~という所を見学しました。うなぎパイ(春華堂)工場です。
むか~し食べましたが今でもあるとは思いませんでした。立派な工場でした。
|
|
|
|
|
|
今回の旅行でもっとも楽しみにしていた所、日本三大稲荷の一つ豊川稲荷です。稲荷といっても曹洞宗のお寺で円福山 豊川閣 妙厳寺と言います。
元々は養蚕、食物の神さまでしたが後に商売繁盛、家内安全、福徳開運の神として信仰されて来たそうです。
|
|
|
|
|
|
霊狐塚。狐の石像です。
檀家(お寺ですから)の方が奉納されたそうです。1000体以上あるようです。
|
|
|
|
|
境内の何箇所かに大きなソテツ(3mくらい)が植えてあります。30年くらい前に来た時も目立ちました。その時に比べて大きくはなっているのでしょうが、ソテツの30年間では僅かに伸びた程度でしょね。
帰宅後インタ-ネットでソテツを植えた時期を尋ねて見ました。
Q: 境内に植えてある大きなソテツは植えてどれくらい経ちますか?
A: すみません、判りません。
という回答が来ました。ずいぶん昔に植えたんでしょうね。
|
|
|
|
|
何処か他所でも聞いたことがあります。京都方面か茨城の稲荷さまで、稲荷寿司です。豊川稲荷が発祥の地だそうです。
|
|
|
|
|
|
|
|
旅行の楽しみの一つです。宿泊は三河湾に面する蒲郡温泉のホテル竹島です。
ここにも以前来たことがあります。当時は今の様に整備はされてなく磯の香りが強い(生臭い)所だったのを覚えています。三河湾の夕日は以前と同じ様に綺麗です。
竹島弁天を一回りし楽しみの宴会が始まりました。ここの料理も素晴らしく宴会の雰囲気も良いものでした。
|
|
|
|
|
|
|
宴たけなわです。同行の品のある年配の方ですが大変に気合が入っていました。目を閉じて聞いているとプロの演歌歌手の歌を聞いているのかナ~と勘違いするようでした。おかげさまでトックリが並びました。
|
|
|
|
|
2日目です。
徳川美術館です。
侯爵、徳川義親の寄贈品で尾張徳川家の重宝(大名道具)徳川家康の遺品、家族が利用した品々一万数千点、国宝 源氏物語絵巻 をはじめ国宝、重文、重美品など百数十点があるそうです。
特別展、尾張徳川家の雛まつり展が開催されていました。それぞれの大名のお姫様の雛人形、花嫁道具が多数展示されていました。
|
|
|
|
|
|
|
|
徳川美術館の庭にて少林寺副住職と。
聡明な青年です。
お嫁さんも募集中だとか?
|
|
|
|
|
名古屋城は徳川家康が東海道の要として加藤清正をはじめ西国の子分大名20数名に造らせたそうです。
昭和20年の名古屋空襲で焼け落ちましたが昭和34年に再建しました。一部再建できなかった本丸御殿は現在寄付を募り再建中です。
|
|
上のお城と下のお城を比べて見て下さい。上のお城は現在の物です。下の写真は再建されて15年くらいの時です。細い松の木でした。その後30数年(約40年)経つと木々もだいぶ大きくなりこれぞ『お城』いう風格が出てきましたね。
|
|
|
|
30数年前。。。
この年には名古屋城には2回来ました。
一度は結婚前の愛妻と、そしてもう一度は悪友と。 |
|
|
|
|
|
|
|
|
名古屋城といえば金の鯱です。数年前名古屋博覧会開催の時に磨かれただけあって良く光っていました。
雌、雄で約100キロの金を使って出来ているそうです。当時は火除けの意味で作られたそうですが後には権威の象徴となったようです。
|
|
|
|
|
昭和48年に来た事があります。その時に驚いた事はお城にエレベ-タ-が付いていた事でした。
「これ本当のお城?」と思いました。
天守閣から見る町も随分変わっていました。
|
|
|
|
|
このお寺には霊犬早太郎という伝説があるそうです。
随分昔ですが、遠州府中(静岡県磐田市付近)見付天神社では毎年祭りの夜に一人の子女を人身御供として供えるという悲しい習わしがあったそうです。この悲しい習わしをなくす為に弁存という僧侶がこの寺に飼われていた怪物に強いという山犬を探し当てました。そして早太郎が子女の身代りとなり怪物(老ヒヒ)を退治したそうです。
この犬は甲斐犬の先祖のようです。
|
|
|
|
|
|
|
|
本殿(写真中央)と
県宝 三重塔(写真右側)です。
|
|
|
|
季節、季節に来たい所ですね。光るコケでも有名だそうです。 |
|
|
|
|
|
|
木曽駒ケ岳です。4月ですが冬山ですね。一度は来たいのですがロープウェーに乗るのに数時間待ちと言われています。そんな訳で二の足を踏んでしまいます。
|
|
|
|
|
|
|
|
左から、
豊川稲荷さまの家紋
伏見稲荷さまの家紋
我が家の家紋
|
|
|
豊川稲荷さまの家紋を見て我が家の家紋と似ていると思いました。以前行った事のある伏見稲荷さまの家紋を見た時もその様に感じましたので少し調べて見ました。
鈴木一族の代表紋。「熊野神社に奉仕する神官、氏子などに用いられ熊野権現絵巻に祖神を勧請したとき、稲穂を奉って「穂積」の姓を賜った。この穂積は鈴木ともいう」とある。
鈴木は「ススキ」の当て字で、ホズミと同義の積んだ稲穂をいう。京都・伏見稲荷の紋としても有名。稲荷は稲生りの意で、祭神は倉稲魂神。稲紋は稲穂を束ねて丸型にしたものが基本。
何度読んでも???判りません。基本的にはその地を収める豪農に稲紋が与えられた所から広がったようです。ちなみに私の父の生家は昔この地区の名主だったそうです。関東では名主、関西では庄屋、東北方面では肝煎(きもいり)という言い方をしました。
|
|
|
|
|
豊川稲荷さまはじめ日本の寺社には狐、狛犬の石像が多くあります。狐と狛犬の違いを少林寺の副住職にたずねてみました。細かく説明して頂いたのですがバスの中で般若湯を頂いていた為か大方を忘れましたが下記のような事だと思います。
「狐は農作物などを荒らす虫、ネズミなどを退治して、狛犬は悪霊を退治したり流行病を治める」という事です。 |
|
|
|
|
今回の旅行では少林寺さんに大変御気遣いを頂き良い思い出が出来ました。有難う御座いました。合掌。
写真は、少林寺さんの住職、奥様、副住職です。
※最後に、同行のはずだった友人はその時になって行けなくなりました。大きな請負仕事の引渡し日になったとか言い訳をしていましたが、新たな大儲けの話が来てそちらへ走ったものだと私は密かに思いました。
|
|